人相手のお仕事についてと、育児の仕方について考えた出来事(考察編 1:人相手のお仕事について)
人相手のお仕事で大切なこと。
私の考えですが
まずは、 相手のことを受け入れる。
そして、 相手のことを真に思いやる。
ことだと思います。
特に人の手助けをする仕事の場合ですが。
それが今回のこども園では、おみごとに両方とも欠けていると感じました。
私は職業柄、ある程度女社会の中でもまれてきた経験もあるし、このようにブログで文字にすることによって、冷静に振り返ることもできます。
でもそうでなければ、子どもも親も、はっきりした理由はなくても、漠然と自分は悪いんだ、ダメな人間なんだと、自尊心を奪われる結果になる可能性も充分に考えられます。
日本では、個性を押し殺すかのように皆が平均値を生きることを良しとする風潮があありますが、実際は1人ひとりが全く違っています。
姿形はもちろんですが、考えも、辿ってきた人生も、もっと言えば過去世も、魂の目的も。
本当は驚く程に、全員がまるで違うのです。
でもだからこそ、この社会には様々な職業や分野が存在し、多様で高機能な社会が構築されていくのですが。
けれどもそれ故に、人と関わる時にはお互いに少しの注意や努力が必要になります。
例え気の合う人同士であっても別の肉体を持った人であれば、一部の生活環境や文化を共有しているというだけで、中身は全く違った、つまり共感できない部分を必然的にお互い持ち合わせた関係なのです。
そのことを前提とし、尚且つ自分がその人の手助けをする立場にあるのであれば、仮に相手が間違っている場合であっても、まずはそれを頭から否定するのではなくありのまま、受容する。
それこそが、まず一番に行うべきことだと思います。
そうでなけば、自分とは異なる相手と対等に関わるスタートラインにも立てません。
お互いに反発し合って争いになるか、変な上下関係や依存関係が生じます。
ついでに言うなら専門家であることと、立場が上であることは違います。
どんな時も対象となる側の人が主役であり、その人が尊重され安心できる環境が整わなければ、その人が自分の力で自分を客観的に見つめ直したり、行動するようにはなれません。
また、真に思いやる心があれば、発せられる言葉は選ばれ、一つひとつが自然と相手を尊重する態度になります。
結果、例えやりとりの中で注意を促す場面があったとしても、言われた側が自尊心を失ったり傷つくようなことは、決して起こらないと思うのです。
今回の子ども園の先生方は、通う子どもや母親に対して、保育士、栄養士、時に公務員だなどと言いながら権力を振りかざし、服従させることに快感を得ている様子が伺えました。
人を手助けするという本来の役割からは大きく外れ、パワハラとも言える行為だと感じました。
指導も根拠のない単なる主観的な考えの押しつけにしか聞こえず、子ども達がされた行為は捉え方によっては虐待に近いものだと言えるのではないか。
もちろん優しく考えれば、そういった行動をとる人達には、人をはけ口にしないと心のバランスをとれない状況、つまり心の中に何かしらの負の要素を抱えている可哀想な人達だとも言えます。
けれども、プライベートや私情と、仕事を混同させてはいけません。
そうでなければプロとは言えず、近所かどこかのおばさんに子どもを見てもらっているのと、何も変わらなくなってしまいます。
お金をいただいて専門職の肩書きを使って仕事をする限り、そこの部分のわきまえはしっかりしていただきたいと、強く思います。
今回の件について、私がこのブログの中で吐き出すことまでで留めてしまったら、この子ども園の一時保育を利用する子どもと親に、これからも同じことが繰り返されてしまうと思い心が痛みます。
何らかの形で当事者の方達には伝えられたらと、今いい方法を考えています。
そういうことは、実は今までやったことがないのですが、母親になったせいか、好きな絵をやり始めたせいなのか、今回の私は何だか少し違うのです。
( 育児の仕方については明日の 考察編 2 に続きます。いよいよ明日が最終章です。数日間に渡る長いお付き合いになりましたが、ありがとうございます。(^o^) )