人相手のお仕事についてと、育児の仕方について考えた出来事(考察編 2:育児の仕方について)
赤ちゃんを泣かせたままにしておくことは、悪いことか、それとも悪くないことなのか。 これはどちらが正解というより、育児を経験した人の中で意見が分かれるのではないかと思うのですが、皆さんはどうお考えですか。
出産前の以前の私だったら、泣かせておくことは当然悪いことだと思っていたかもしれません。
けれども自分で実際に育児を経験してみると、赤ちゃんの全ての要望に答えるなど到底不可能な現状にぶち当たります。
するとこのような疑問が、ふとしたときによく浮かぶようになりました。
赤ちゃんは「泣くのが仕事」だとよく言います。
言葉の代わりに、不快や欲求を一日に何度も「泣く」という行為で伝えてくるからです。
また、赤ちゃんにとって泣くのは当然のことだから、特別気にしなくても良いという意味でその言葉が使われることも、よくあると思います。
泣くことが、赤ちゃんにとっては良い運動になるとか、疲れて深く長く眠れるようになるとか、声や肺を鍛えることができるとか、そのために多少放置して泣かせておくことも必要だよ。
それに赤ちゃんの頃のことは記憶に残らないから大丈夫なんだよと、私の初めての育児を気遣ってか、今まで色々な場面でそんな風にアドバイスをらったことがあります。
確かに産後体力が回復していないし、赤ちゃんも手がかかる状況でストレスが大きかった時期には、そんなアドバイスに助けられてやっと肩の力を抜くことが出来たのを覚えています。
けれどもやはり、実際に息子が泣く場面で本人の気持ちを考えると、しばらく放っておくことなど可哀想でなかなか出来ず。
自分の中ではずっと腑に落ちないところがありました。
泣かせたままにしておくことは悪いことではないのかずっと疑問でしたが、今回の子ども園での出来事のお陰もあり、今はやはり泣く行為を無視するのは良いことではないなと、自分の中では考えが固まりました。
そう思うようになった最初のきっかけは、ブログにも書きましたが少し前に受けた感情の解放ワークというもので、全く記憶に残っていないと思っていた一歳の頃の寂しいという感情。
それがありありと今に蘇り、しかもそれが30年以上の時を経て、現在の私に大きな影響を与えている事実が明らかになったことです。
そのことから、忘れていると思い込んでいた記憶は、実は思い出すことが難しいだけで、脳か魂の中には0歳から現在までのきっと全てのことが記録されているのだということを、実感しました。
また子ども園での出来事では、息子の気持ちを考え、どうか必要以上に泣かせないで欲しいという思いを強く抱きました。
そして息子のことを、対自分ではない状況で客観的に見ると、泣くという行為が1日に例え何回繰り返されようと、本人にとってはきっと毎回毎回がただ事ではない真剣勝負なのだろうと、前よりもはっきりと思うことができたのです。
過度に神経質になって絶対に泣かせないようにするべきだとか、そこまでは思いません。
特に初めての子どもならまだしも、兄弟がいる場合には、見てあげたくてもそれがどうしても叶わない状況も多々あると思います。
ただ赤ちゃん自身にとっては、当たり前のことを言うようですが、泣いていたらその原因を出来るだけ早く取り除かれることが、今の精神の安定を保つためにも、今後の情緒の成長発達においても、やはり一番良いのではないかと考えます。
なので私は、訴えるその声をできる限り無視せず、息子が私達にしっかり守られていると感じながら日々を送ってくれたらと思っています。
そううまくいかない現実もあると思いますが、今はそう願っています。