息子の情緒面の発達から 3 「集団の中にいたい欲求」から今の社会を考える編
外出先で、「大人しいねぇ〜。」とよく言われる息子。
本当に、外出中誰かといる時は、基本的にお腹が空いた時以外ほとんどぐずらず、とってもニコニコご機嫌。
かといってボーッとしているわけではなく、大きな目で絶えず、キョロキョロ色々な人の表情や動きを観察しながら、一緒に声を出してみたり、誰かと目が合えば喜んだりと、頭の中は活発に動いています。
どうやら、何人かの人達と一緒にいるのがとっても居心地いいみたいなのです。
そんな傾向が、最近前よりも顕著になってきました。
それも2、3人より、4、5人とか、それ以上の大人数でも、人が沢山いた方がいいみたい。
外出はしやすいのですが、逆に大変なのは、家で2人きりのとき。
こちらは体を使い息切れしながら一生懸命遊んでいても、数時間もすると物足りなくなって、ぐずりがちに。
それが、来客があったり外で人に会うと、すぐに落ち着きます。
それから面白いのは、私が息子とではなくインコと遊んでいる様子を見ても、落ち着いてくれます。
なるべく人が動いたり声が聞こえていた方が落ち着くようなので、少しオーバーに遊んで見せたりするのですが、ずっとは体力が続きません。
なので最近は、人と会う予定が入っていなくても、昼間は毎日外に出るようにしています。
外に出て道を歩いたり、ちょっとお店に入るだけでも、変わる景色と動く人を眺めて、家で2人きりでいるよりも落ち着くのです。
すいぶんお兄ちゃんになってきました。
で、そんな息子を見て、人間は生まれつき社会性のある動物なんだよなぁと再認識しています。
本来人間は社会性を持ち、集団の中で生活する動物。
それが今では家族や親戚も、それ以外の人間関係も、なんだか希薄になっています。
だから、子育ても大変。
年取っても大変。
そしてその人間関係の物足りなさを埋めるかのように、携帯電話やインターネットが爆発的に普及し、電車の中、レストランの中、歩きながらでも、みんなが今自分が居る場所のことよりスマホの画面に向かってうつむいています。
私はそんな光景に、未だに、何か足りない、何かずれているんじゃないかと、時々違和感を感じます。
文明の発達に伴い、人々の肉体を持っての関わりが少なくなったことで、人を思いやることや相手の立場になって考えることが難しくなったり、理由のない孤独感や空虚感を感じる人が増えている矛盾。
最近の政治や、優先席に座る学生やサラリーマンなどを見ても、私達はこの先一体どこへ向かおうとしているのか。
ちょっと2、3歩元に戻って、足元にある大事な落とし物を探しに行くべきなんじゃないかなと、思ったりしています。