スピリチュアルを仕事にしている私が「普通の人っぽい」ただ1つの理由 〜現実に身をおくことの大切さについて〜
スピリチュアルを仕事にしている私が「普通の人っぽい」ただ1つの理由。
それは
私が
ズバリ…
普通の人だから!!
(そのまんまじゃん!って怒られそうですが。)
かつて私が自分の生き方に悩んでいた頃、自分はおかしい人かもしれないと本気で思い「普通の人になりたい!」と切望していた時期がありました。
それが今、エネルギーセラピストやヒーラーという看板を掲げて人に会うだけで、
「りかさんって、普通の人っぽいですよね!」
と、かつての密かな夢を知っているかのように、色んな人から言ってもらえるようになりました。
でもそう言った後はだいたい「いや、悪い意味じゃなくて…」と焦って弁解してくれるので、いつもそれを笑って聞くのですが。
みんなが言う「普通の人っぽい」の意味は、特別な能力や魅力がないということではなく、占い師やヒーラーと名乗っている人達の一般的なイメージと比べて言ってくれているようです。
私自身も、全員がそうだとは思いませんが、占い師やヒーラーと名乗る人達の中には、特別な能力を持った「スゴイ人」のオーラを自ら放って演出しているような人が多いなぁ〜と感じています。( ← 不満…。)
もしくは自分では演出しているつもりはなくても、お空の向こうばかりを見上げて、例えば宇宙が、天使が妖精が…などと言いながら、地に足をつけずフワフワしちゃってる人。
現実で苦労しながら生きている人から見たら、どこか自分とは次元が違う人ような、一見神様に近い雲の上の存在のようなスゴイ人に、映ったりもします。
……いやいやいや、
そんなことないですから!
みんな同じただの人間ですから!
たまには心の中で汚いことも考えるし、トイレだって行きますよ!
でも無宗教の日本だからこそ、もしかしたら心の支えとしてそういった「特別な人」が必要な場面もあるかもしれませんが。
けれども、そういった「特別な人」には、霊的奉仕をする人としていくつかの致命的な欠点があると私は思います。
一番は、そんな状態では、現実を生きている人達を本当の意味では助けられない!ということ。
現実を知らない、もしくは忘れてしまった人の口から、
果たして正に今、現実の壁にぶち当たり前への進み方が分からなくなってしまっている人に対し、
真の助けとなる言葉が出てくるでしょうか。
自分やスピリチュアルに依存させる形ではなく、その先に進むべき道筋へと光を灯すことができるのでしょうか。
現実離れしたスピリチュアルの世界だけで愛や幸せを訴え、その幻想の中だけでひと時の安らぎを与えたとしても、そこから現実を変える力は1つも生み出されません。
また「特別な人」を演じることで、クライアントさんとの間に自然と上下関係が生まれます。
上下関係を作ることは、クライアントさんの心を開くことは愚か、依存関係をも生み出します。
心を開いてくれなければ、クライアントさんが自分自身を見つめることをサポートするのが難しくなるし、こちらから投げかける適切な言葉も選べません。
ヒーリングも効果的にできなくなります。
そして依存関係は、クライアントさんが自分自身で人生を切り開く力を失います。
「特別な人」に自分を位置づけとようとする理由としては、
・スゴイ能力を持った自分に酔っていたい
・固定客から安定した収入を得るため、あえて依存関係を作りたい
・回答が曖昧になりやすい目に見えないスピリチュアルの世界を説明しきれなかった時の逃げ道として、一般人には手の届かない雰囲気をかもしだしている
などがあるんだろうと思っていますが。
でも、相手が現実を生きている人達なのであれば、それをサポートする自分自身こそ、地に足をしっかとつけてこの現実世界に身を置いて置くことが絶対に必要です。
そんなの、基本の「キ」だと思ってます。
みんなと何も変わらない普通の人間である、 トーマスりか でした☆
最近、セラピーのモニターとして協力して下さった英語アレルギー克服アドバイザーのタナカミカさんが、そんな私のことについてブログで少し触れてくださいました。ご紹介です☆ …… 『「現実的な」スピリチュアル』
