ハーフの子どもの妊娠中から始まった「外国人」を感知する能力
今日友人とピクニックしながら私の能力の話になり、今まであった面白い経験談をいくつかしました。
で、家に帰ってから、さっき話さなかったけどそういえばこんな面白いこともあったなぁと後から思い出したことがあるので、書いてみようと思います。
それは、「外国人」を感知する能力。
この能力が芽生えたのは、息子の妊娠が分かってからすぐだったと思います。
どういうわけか息子を妊娠してから産後数ヶ月までの期間、
不思議とスピリチュアルに全く関心がなくなり、日常でもその能力が発揮されることはほとんどなくなりした。
でも何故か、この面白い能力だけは新たに芽生えていたなぁと思い出すのです。
「外国人」を感知する能力。
それが具体的にどんなことかというと。
例えばある時、人混みの街の中、赤信号で立ち止まっていました。
私の目線は横断歩道かその向こうに見える反対側の人達の足元辺り。
別に外国人を探してなんか全然いません。
それなのに、外国人がいる場所が何故か分かるのです。
それも、’このあたり’ではなく、ピンポイントで左から何番目、前から何列目などというように、外国人がいる場所が詳細に。
そして顔を見る前に、その人のだいたいの肌の色や顔立ちまで分かります。
人混みの中をただ歩いている時も、外国人とすれ違うときだけ何故か気付いてしまいます。
レストランで食べていても、外国人のお客さんが入って来る時だけは、ドアが開くと同時にもう分かったりするのです。
外国人を見つける瞬間のあのピーンと気付く感じは、タロットカードを引くときの感じに少し似ていますが。
でも大きな違いは、私が別に外国人に気付こうとしているわけでは全くないということです。
外国人じゃなくても、なんの調子なのか、時折知らない人の後ろ姿を見ただけでその人の顔立ちや今の表情が鮮明に見えてくることがあります。
でも、それはいつもではありません。
この「外国人」を感知する能力は、妊娠中からつい最近までずっと続いてきました。
その理由は、
恐らく自分の子どもが外国人の血を引いていることが不安だったから、それで「外国人」へのアンテナが立っていたんだと思います。
国際結婚をしているくらいなので外国人への偏見はありませんが。
でも日本で暮らすハーフの子どもは、いい意味でも悪い意味でも必ず周りと区別されながら生きることになるだろうと、
親として申し訳ないとか、悩ませてしまうかもしれないという不安な気持ちが大きかったのです。
けれども最近その能力がいつの間にか消えいたのに気付きました。
きっと今言ったような不安が、だいぶ薄れてきたからだと思います。
ハーフということで、一緒に生活する中、いいことも面倒くさいことも想像通り沢山あります。
それでも不安が薄れたのは、
息子が今、本当に幸せそうだから。
まだ赤ちゃんの時期だからというのも、もちろんあるでしょう。
大きくなって色々分かるようになったら、ハーフであることを悩むことが一度くらいあるに違いありません。
周りからの目だけでなく、アメリカの家族親戚が遠いこと、成人する頃に自分の国籍をどちらか選択しなければいけないこと、社会情勢に対する複雑な思いなど、きっと私がしたことのない経験を沢山していくのです。
でも、今こんなに幸せなんだったら、
自己肯定感をしっかり持てる子に育っていくはず。
そうしたら、少しくらいの問題も、壁だと感じずに生きていけるんじゃないか。
今こんなにお友達に優しく仲良くできるなら、
人との摩擦を起こさず、周りと調和できる子に育っていけるかもしれない。
そうしたら、人との問題はあんまり起きないんじゃないか。
そんな安心感を得るようになったら、いつの間にかその「外国人」を感知する能力が自然となくなっていました。
という、ちょっと不思議で面白い話デシタ。


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